BELIEF

一般社団法人広島青年会議所のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
平素より当青年会議所に格別なるご支援とご協力賜り、厚く御礼申し上げます。
2024年度の広島青年会議所は、以下の理念、方針にて活動を展開して参ります。

基本理念

語ろう広島の未来 造ろう青年の手で

基本方針

  • 1一人ひとりがいましかできないチャレンジをしよう
  • 2未来の広島に向けて、いま興すべき運動に取り組もう

被爆100年の広島は、もはや遠い未来の話ではない

 2024年は広島青年会議所が設立されて74年目、そして広島が被爆して79年目を数えます。2024年に開業する新サッカースタジアムは、その議論が熱を持ち始めたのはいまから約20年前のことでしたが、いまから20年後には、被爆100年という広島にとってのセンテニアルが控えています。20年後の広島は、高齢化率がピークを迎え人口の約3割が高齢者となり、戦後広島のシンボルである原爆ドームの保存方針の見直しが行われ、市役所や県庁も老朽化による建て替え議論が進んでいるでしょう。まちづくりにおいて20年後は決して夢物語ではなく、すぐそこにある未来です。
 20年後に私たちメンバーの多くは50代になって会社と地域を牽引するリーダーになっており、私たちの子供は成人して、地域を支える若きリーダーになろうとしています。未来の私たちや子供達が、これからも広島に暮らし続けたい、この広島で子供を育てたいと思えるような社会、そこへ向かって行動していくのは現在の私たちです。私たちは未来の広島はどんな姿であるべきなのか、いまから議論していかなくてはいけないのです。

変わり続ける力を持った、強靱な組織を目指そう

 広島青年会議所は厳格な伝統と規律によって組織運営を行ってきました。しかし、このような伝統と規律はなぜあるのか、一体いつから何の目的で始まり、どのように見直されて、現在に至っているのでしょうか。私たちは先輩達からしっかりとその本質を受け継ぎ、後輩達に伝えることができたでしょうか。組織の新陳代謝が早いJCは、継承を怠ると簡単にその本質を見失ってしまいます。コロナ禍の間に変化した行動様式のなかには、もはやそれ以前がどうだったか疑問を感じずに受け入れていることもあります。過去のしがらみに囚われていては、青年らしく颯爽と時代を乗り越えていくことはできません。しかし過去の積み重ねを顧みないのであれば、74年の歴史など砂上の楼閣に過ぎません。
 私たちが日々の活動の中で抱く小さな違和感も、何十年も変化していない規程も、一つひとつに疑問を持って点検し、その議論の過程や守るべき本質をきちんと記録に残していきましょう。そうした積み重ねが歴史ある組織の財産となり、しっかりとした軸があるからこそ大胆に変える判断ができるようになります。テクノロジーや社会の価値観は常に変化しているのですから、私たちが当たり前だと思い込んでいることを見直していくことも当然必要です。たとえ新たな疫病や大災害のような未曾有の時代が訪れても物怖じせずに乗り越えていくことができる、いつでも変わり続ける力を持った、強靱な組織を目指しましょう。

(1)一人ひとりがいましかできないチャレンジをしよう

 私たちは等しく与えられた時間のなかで、仕事や家事、育児や介護、そのほか様々な社会活動を抱えながら、JC活動を行っています。ある日突然自身を取り巻く環境が変わって、満足のいく活動ができなくなったメンバーもいます。そもそもJCに入会したくても叶わなかった方もいます。いまJC活動ができているのは、私たちを送り出してくれる方々の支援と、たまたま恵まれた環境下にいるおかげに過ぎません。だからこそ、いましかできないことは悔いの無いよう積極的にチャレンジしてほしい、そして満足のいく活動ができないメンバーも、いまできることに精一杯取り組んでほしいと思います。
 近年、広島青年会議所全体のチャレンジしようとする意識の低下を感じており、私はベテランメンバーの姿勢にその原因の一端があると思っています。自身を取り巻く環境は常に変化しているなかで、毎年JCでチャレンジし続けることは大変なことです。それでもベテランメンバーが範を示し、若いメンバーを粘り強く育てようとするから、そこにJCの熱い友情が生まれるのです。2024年は理事を経験したメンバーが多く残っている年であり、これもまた先輩たちが私たちに残してくれた財産です。特にベテランメンバーは、若いメンバーと共にチャレンジすることを心がけ、広島青年会議所全体の意識を引き上げていきましょう。
 JC活動を通じて得られることは多岐にわたりますが、2024年は4つのことを特に意識してほしいと思います。これらはどれも普遍的に広島青年会議所が大切にしていることですが、一人ひとりの取り組みが、自身を取り巻く環境を改善する糸口になり、組織全体のチャレンジしようとする意識を引き上げる原動力になっていきます。

①相手のことを考えて自らの行動を決める

 JCには様々な人と関わる会議や懇親の場がありますが、私はこうした場での私たちの振るまいが型にはまりすぎていると感じることがしばしばあります。ビジネスマナーや社会通念上の型はあるし、JCではほとんど儀礼的に定着している型もあります。長く続いてきた型には必ずその目的があるはずですが、ただ漫然と型どおりにこなして、目的を見失っていることはないでしょうか。私たちは相手の期待を超えるために、時には型を崩した行動をとることもあります。相手のことを考えて自らの行動を決定することは広島青年会議所が大切にしている規範の一つです。相手にまた会いたいと思ってもらえる、記憶に残るような振るまいを心がけていきましょう。

②より多くの人と交流を広げ、様々な情報が集まる人的ネットワークをつくる

 皆さんのなかには、人脈や仲間づくりがJC入会の動機となった人もいると思いますが、せっかく同じ志を持つメンバー同士、もっと密な情報交換をしてほしいと思います。例えば法改正に伴う会社の対応状況や、勉強会などのセミナー情報、あるいは育児や福祉の支援についてなど、それぞれの知識と経験を持ち寄ってできた集合知は、広島青年会議所でしか得られない強みになります。
 さらにメンバーとの情報交換だけで満足することなく、より多くの人との交流を広げることにもチャレンジしてほしいと思います。皆さんの行動がより多くの目に触れることは、広島青年会議所の広報活動にも、会員拡大にもつながります。JCの人的ネットワークはメンバーそれぞれの幅広い交友関係があってようやくできあがるのです。先輩や他LOMメンバー、そしてJC活動で出会ったJC以外の人とも交流を広げていきましょう。

③あるべき姿に向けて周到に計画し行動する

 JCの行事は遅くとも1ヶ月前にはその予定が決まっていると思います。例会や委員会に出席義務が課されているのは、会員が集まり顔を合わせることで生まれる様々な機会を大切にしているからです。決まった予定に向けて自分のスケジュールを調整することも、トレーニングの一つです。
 JCでは周到に計画することを大切にしていますが、それは事業計画だけではなく、自身の成長についても同じです。PDCAやOODAはビジネスシーンでよく使われるフレームワークですが、単年度制を繰り返すJCだからこそ自身のありたい姿を計画して行動に移していきましょう。そして行動した結果を評価し、より高い理想に向けて更なる成長を目指していきましょう。

④様々なことに関心を持ち、知ることに貪欲である

 広島の歴史やいま起きていること、活躍している人、他の都市や世界の事例、最新のテクノロジーやトレンド、文化や芸術のこと…青年経済人として、このような多彩な知識と教養を身につけることに貪欲でありましょう。そのためには、SNSや様々な検索エンジン、最近ではChatGPTのような会話型AIを使うことも重要ですし、アナログなやり方では本や論文を参照したり、専門家を訪ねたり、先進事例を視察して体験したりすることも重要です。そうして得たことは、あるとき点と点がつながってアイデアの源泉となります。
 また、自身が得たことをそのままにせず、SNSなどに「清書」することにもチャレンジしてほしいと思います。自分にとっては反芻することで得たことが定着するし、あなた自身がどんな知識と教養に裏打ちされた人なのかを、他の人に知ってもらうこともできます。

(2)未来の広島に向けて、いま興すべき運動に取り組もう

 JC運動とは、地域を明るい豊かな社会へと近づけるための取り組みであると同時に、JC三信条である修練・奉仕・友情を私たちが実践し、実感する場でもあります。いま地域にとって、広島青年会議所にとって、必要な運動とは何でしょうか。
 昨今の広島青年会議所は地域に根ざす運動をできているといえるでしょうか。2011年から9年間続いたひろしまキッズシティ以降、残念ながら継続した事業は生まれていません。単年度制のJCでは継続することを前提として事業を企画できない、それはその通りです。でも、それがどうしたというのです。たとえJCの事業でなくなっても、ライフワークとして自分がずっと関わり続けたいと思える事業を企画することが、JCの事業が地域に根ざす運動へと進む第一歩です。そしてその歩みを2歩3歩と進めるためには、関わった方や参加した方の、また来年もやりたい、楽しみにしているという期待が原動力になります。地域の期待に応えて自らも関わり続ける、その循環ができてようやく地域に根ざす運動になったといえ、我が手から離れることを考えられるようになるのです。
 広島市は戦後一貫して、「国際平和文化都市」を理想の都市像であると掲げてきました。このまちは世界的な知名度もありますが、それは被爆都市、原爆ドームという79年前から時を止めたままのイメージで未だ語られているに過ぎません。世界中の紛争地から広島を訪れた人々は、一度は焼け野原となった広島が現在はこんなにも緑豊かに復興を遂げていることに、自分たちもいつか復興できると夢や期待を持って帰国するといいます。戦後復興を遂げた後に生まれた私たちが取り組む「国際平和文化都市」を実感する運動とは、まずこのまちに暮らす人々が、夢や期待に溢れるようになることだと考えます。このまちを訪れた世界の人々は、復興したまちの姿だけでなく、そこで活き活きと暮らす人々の姿を目にすることで、理想とする平和な社会を実感することができるでしょう。
 ところが近年、広島を彩る風物詩であった行事が次々と無くなっています。このまちで暮らす人々にとって世代を越えた思い出となり、語り合う機会であったと同時に、また来年を楽しみに思う、いつか自分もという夢や期待を生み出す機会が失われているのです。ここに、いましかできないチャンスがあります。2024年は4つの観点から、まずこのまちに暮らす人々が「国際平和文化都市」を実感できる事業に取り組みます。そしてこれらの事業を「広島青年会議所ムーブメント・ウィーク」という枠組みのもと結集させ、国内外から訪れる人々にも夢や期待に溢れる運動を興すことに、挑戦します。

①Inclusion City

 東京五輪・パラリンピックにおいて、広島県出身である東ちづるさんが文化プログラムの総指揮を務めました。人の多様性とは、国籍、人種、文化といった国際的な違いから、貧困や福祉、病気や障害、ジェンダーといった機微な違いまで、あらゆるところに存在しています。私たち自身もあらゆる違いを備えた当事者であり、その私たちが当たり前の暮らしができているように、あらゆる人々が当たり前の暮らしができるような社会を実現することは、国際平和文化都市・広島に必要なことの一つであろうと私は思います。そのために、多様な違いを持った人たちがそれぞれの個性を発揮して、お互いをよく知り、支え合い、称え合い、笑顔になれる場をつくっていきましょう。

②Peace City

 広島青年会議所は2003年に被爆者団体や行政と協議を重ね、様々な利用制限が課されていた平和記念公園で2004年に音楽祭を開催し、以来約10年にわたって広島市民芸術祭を行い、理想とする平和都市の姿を具現化してきたという歴史があります。広島青年会議所が行う平和の運動は、誰もが友好に協調しあって夢や期待を語り合い、実現に向けて行動する運動であるべきです。
 平和大通りや旧広島陸軍被服支廠の利活用は、いままさにこうした議論の渦中にあります。私たちが理想とする平和都市の姿を、様々な立場の人々と共に語り合い、その実現に向けての歩みを進めましょう。

③Cultivate City

 広島市は全国屈指の文化パイオニア都市であり、全国に先駆けて映画や音楽の保存施設や現代美術専門の美術館、まんが専門の図書館を開館してきました。また、芸術と音楽を専攻する大学が共にあるまちも、三大都市圏以外では稀有な存在です。しかしながら市民の文化芸術への関心があまり高いとはいえないのが実状です。2024年は広島市が注力する「第2回ひろしま国際平和文化祭」が開催されますが、理想の都市像を名前に冠するにも関わらず、まちをあげた祭になっているとはいえません。奇しくも国内屈指の現代芸術の祭典であった文化庁メディア芸術祭が2022年に終了し、いまこの国から芸術を育てる一つの場が失われたばかりです。この機会に、様々なクリエイターの活動を後押しし、その創造性に触れることで市民の文化芸術への関心も高めていく「文化芸術を育てるまち」広島を目指しましょう。

④Youth Growth City

 広島市中心部の巨大な公共空間である中央公園は、ひろしまゲートパークや新サッカースタジアムが開業する一方で、その残りのエリアについても再整備の検討が進んでいます。2020年に基本方針が公表されて以降、施設ごとに計画が進められていますが、その内容は市民に十分に伝わっているとはいえず、中央図書館の移転に際しては反対運動も起きました。このエリアがどうあるべきかという理想の姿が語られないまま、着々とそれぞれの事業は進んでいるのです。
 戦後、多くの青少年が様々な体験をし、思い出をつくってきたこの場所は、私たちの子供たちにとっても同じような場になっていくと、いま私たちは自信を持って言えますか。広島青年会議所が青少年のためのまちづくりの当事者になりましょう。子供達と子育てをする人々が理想とする中央公園の姿を私たちが提言し、行動していきましょう。

私たち「青年」の使命とは

 日本のムラは古くから若者達が、あるときは外敵から地域を守る自警団として、またあるときは祭礼の担い手として、自分たちが暮らす地域を支えてきました。明治時代に都会の文明と切り離されてしまったムラにおいて、地域の若者たちと発起し青年団を立ち上げ、全国的な運動へと発展させ、後に「青年の父」と呼ばれた山本滝之助も、広島生まれの青年でした。広島青年会議所を創始した先輩たち然り、いつの時代も全国に先駆けて地域のために立ち上がり、奮起したのは広島の青年たちです。
 いまこの広島で、地域のために奮起しようという志を持った青年たちの組織は、広島青年会議所しかありません。私たちにだってできるはずです。広島の未来は、青年たる私たちの手で造っていきましょう。