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2022.12.23インタビュー

【Pick up⑪ 特別会員 上田宗冏先輩 インタビュー】

 

 

 

【経歴】

茶道上田宗箇流 家元 16代当主 上田宗冏(うえだ そうけい)先輩

1976年 広島青年会議所 入会

1981年 広島青年会議所 渉外委員会 委員長 就任

1982年 広島青年会議所 副理事長 就任

1983年 広島青年会議所 特別委員会 全国会員大会招致委員会 委員長 就任

1984年 広島青年会議所 理事長 就任

1985年 広島青年会議所 直前理事長 就任

      公益社団法人 日本青年会議所 広島ブロック協議会 会長 就任

   同年 ご卒業

 

 

「それではさっそく、上田宗冏先輩の仕事について教えてください」

茶道上田宗箇流の家元で16代当主をしております。上田宗箇流は、初代上田宗箇が豊臣秀吉の側近くに仕えた大名として寵愛を受け茶の間を千利休、古田織部に師事し、武家茶道を創設しました。また、作庭家としても後生名を残しました。古田織部や上田宗箇が創造した桃山の武将の茶の湯は、創作茶の湯が貫く躍動感のある茶であるということが魅力です。桃山時代から、400年に亘り上田家に伝わった武家文化を宗箇の茶の湯を核として現代に紹介し、日本文化の今日のあり様を提唱しています。門下は、広島を本拠に中国地方、関西、関東、ドイツ、フランス、オーストラリア、アメリカ、イギリス等に在住しています。

 

 

 

 

 

 

「広島の伝統文化でもある武家茶道を世界中に発信されていますが、受け入れていただくためにどのような努力や苦労がありましたか」

上田宗箇流は武家茶道と江戸時代250年広島県西部で浅野家の家老をしていた領主でした。領主だった家が、武家茶道を核として伝えているのは日本で私たちだけです。普通はお茶を専門に教えることが多いですが、私たちは武家文化も一緒にお伝えすることをオリジナリティとし、様々な方にお茶の世界に興味を持っていただけるよう努力をしています。海外の人たちが武家茶道と聴くと、「侍」を連想するみたいです。実際に上田宗箇流和風堂に来ると江戸時代の歴史的な文化や空間に触れることができ、非常にご好評いただいています。

広島のまちは世界的に非常に有名で、中でも平和公園は世界で一番訪れるべき場所と言われています。我々は「被爆」や「平和」によって世界から注目を浴び、実際に広島へ訪れる方が増えてきました。広島に訪れた際に、私たち上田宗箇流の伝統文化に触れて魅力を感じていただき、沢山の嬉しいお声がいただいたことがきっかけで、海外でもお茶を教えるようになりました。今では世界に16、17箇所ほどお茶の稽古場があります。私たちのことを知っていただくなら、普及活動を自らするのではなく、実際に広島でお茶の文化に触れていただくことが一番だと思います。そして、お茶の文化を本当の意味で楽しむためには、「日本語」を勉強してもらうことが大事です。日本語ならではのニュアンスは、英語などに通訳してしまうと伝わりきらないと思います。そのため、海外の方もお茶の勉強をする方は、是非日本語も勉強して欲しいです。

 

 

 

「2008年には、日本で初めてのG8が広島で開催された際に武家茶道のおもてなしを行われたかと思います。その時のお話をおしえてください。」

日本で初となる主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)では、河野衆議院議長の要請をいただきまして、武家茶道のおもてなしを行いました。お茶席は当初30分の予定でしたが、その時間が短くならないようにタイムスケジュールの打ち合わせを何度も重ねました。しかし、当日は早く到着されたこともあり、急遽お茶席は50分と当初の予定より長くなりました。お茶席の時間が長くなることは予想外のことでしたが、私と若宗匠の上田宗篁とで柔軟に対応しました。各国の大使がいて、凄くピンと張りつめた空気でしたが、ご指名いただいた河野衆議院議長の顔も潰さないために一生懸命おもてなしを行いました。そんな空気の中、当時アメリカの議長であったナンシー・パトリシア・ペロシさんには、お茶席で色々な質問をもらい、着物も褒めていただきました。ペロシさんのお陰で、お茶席も和やかに進むことができ、本当に助かりました。

 

 

 

 

 

 

「上田宗冏先輩にとって、広島青年会議所とはどんな存在で活動を通じて得たものは何でしょうか」

最初は自分のことや会社のことなどを知って欲しいという思いが強かったです。しかし、広島青年会議所では地域社会に貢献するために、どのようなことをするべきか真剣に話し合いをすると思います。そういったことを重ねる中で、私たちがやろうとしていることは地域から本当に支持されるかどうかを考えるようになりました。人のため、まちのために動けているか、地域に本当に必要とされていることなのかを自然と考えることができるようになったのは、広島青年会議所のお陰です。自分の利益のためではなく、みんなの利益のために動ける団体が広島青年会議所の大きな魅力ではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

「在籍した際に様々な事業、活動をされた中で一番の思い出は何でしょうか」

やはり広島で開催した1985年の全国会員大会ですね。私は全国会員大会の前年の1984年に理事長をさせていただきました。各県の青年会議所メンバーが集まる全国会員大会は、開催の前年から何をするかを決めて準備をしていきます。一年をかけて、全国からきていただける方にどんなおもてなしができるか、どうやったら楽しんでいただけるのかを構築していくのは本当に大変でした。また、全国大会の翌年に私は公益社団法人 日本青年会議所 広島のブロック協議会の会長に就任しました。広島青年会議所でその当時は、理事長を経験した方は日本青年会議所の副会頭に就任されることが多かったです。そのため、広島のブロック会長に就任したことは賛否両論ありましたが、広島青年会議所に新しい流れができるのではないかと感じていました。実際事業として、福屋の7階を借り切って広島の各ブロックにある各市の物産展を行いました。来場者は10,000人を超える大盛況となり、大盛り上がりになったのが思い出深いです。各広島県の青年会議所メンバーも、1週間以上福屋の近くで寝泊まりをしてまで楽しそうに協力をしてくれた姿を見ることができ、本当に嬉しくなりました。

 

 

 

 

「現役会員に対し期待していることなど、メッセージをいただけると幸いです」

この広島という地域をどうしたら支えることができるか、真剣に考えると共に自信とプライドをもって取り組んで欲しいです。かつては被爆し、広島は何もなくなってしまい、多くの人が東京などの都市に出て行きました。都市の復興をするためには、地域を引っ張るリーダーが広島は本当に素晴らしいところだという意識を持って、様々なことに取り組んだ結果が今にあると思います。広島は他県から憧れを持たれることがあります。それは、「平和」という一つの言葉で広島がまとまることができる凄さがあることです。日本有数の大きな町で、ひとつの言葉でまとまることができるのは、他県にはない大きな強みです。平和と文化、そして経済が一体化していく時代となりつつありますが、その時代の流れに即して広島青年会議所も歩みを進めていただけたらと思います。